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  • 蒼井優 『 ダンデライオン 』
    [ 2007-10-15 00:14 ]
  • 谷川 流 『 涼宮ハルヒの憂鬱 』
    [ 2007-09-17 22:39 ]
  • 松尾スズキ 『 クワイエットルームにようこそ 』
    [ 2007-08-31 22:28 ]
  • 金原ひとみ 『 アッシュベイビー 』
    [ 2007-07-20 00:50 ]
  • 中島らも 『 今夜、すべてのバーで 』
    [ 2007-06-20 01:02 ]
  • 氷室冴子 『 海がきこえる 』
    [ 2007-06-11 05:24 ]

2007年 10月 15日
蒼井優 『 ダンデライオン 』
■蒼井優が、シベリア鉄道でロシアを行く!フォトグラファー高橋ヨーコとのトラベル写真集、第2弾。『ダンデライオン』・・・ハバロフスク→シベリア鉄道→イルクーツク→ブリヤート共和国→アルシャン→ウラジオストク。
蒼井優オフィシャルHProckin'on書籍案内

●なんかそれなりに忙しく、すべてにおいて停滞してる気がする。音楽は、ただ流して身を任せてれば良いけれど、それ以外の頭に入れる作業は、ちょっと面倒に感じているところがあり、映画も沢山観たいのがあるんだけど、その気にならないなぁ。もともとIQ80台のお馬鹿な頭だから、何をするにも容量の小ささを感じてきたけれど、やっぱ多方面に日々鋭いアンテナを張り巡らせることができる人・また多くの情報を整理整頓できる人はすげぇ~な~とつくづく思う。

そんな中最近蒼井優のトラベル写真集『ダンデライオン』を買った。なんか最近やたら優さんにお金を使ってる気がするけど(演劇やDVDなど)、良いんですいいんです・・・使う必要のある女子はもう一生現れないだから。値段見たときは「渋谷さん、相変わらず良い商売してるな」なんて思ったけど、すごく良いですこれ・・・2500円の価値あります。自分の卒業写真をずっと残しておくように、これも一生物になります。正直、誰かの写真集なんて買ったのは生まれて初めてで、そもそも写真集=エロ&オナニーってな低能な思考にしか結びつかないので、「だったらエロ本で良いでしょ」とか「もうさ、エロ本の時代じゃないよ、ネットで丸見えです」なわけだけど、第一今まで「どうしたらお付き合いできるだろ」と真剣に考えた有名人は潮音ちゃんにしてもボニピンさんにしても、はたまたナスターシャ・キンスキーや原節子にしても、写真集らしきものは出てなかったので(?)、そういうのも買う機会すらもなかったんだと思う。やっぱ、そんな思い入れもないアイドルの中途半端な露出を見ても、一回はお勤め出来たとしても・・・くだらないわな。多分、好きな女優にしても好きな歌い手にしても・・・女性に対してある種の尊敬の念が沸かないと、なんかワクワクした感情が現れないよな。

ほんとに写真集はすばらしい。なんか、すごく和む写真集・・・ちょっとね、イライラしてる時に見ると、気分がニュートラルになれるような気がする。それもこれも蒼井優さんが魅力的な女性だからだな。いや、まだ見え隠れする少女の部分が、それは映画でも彼女の重要な部分であるんだけど、その魅力を引き出した「それだよそれ」と言う写真がすごく多かった・・・無論それはナチュラル。だから、民族的な衣装を着流してもそれらを重ね着しても、かたくるしさがなくはまるんだよな。日本一もんぺ(知ってる人いないか)が似合う彼女は、日本一タイツが似合う女性でもあることがこの写真集で確認でき、そのタイツ姿がめっちゃめっちゃ可愛いんだな。当たり前だが、お団子は世界一なので、ロシア征服したって感じはある。少年ぽい格好もそつなくこなし、映画に出てくるような・・・無垢だけど意識の強い美少年って感じか。薄めの化粧・またスッピンに近い顔、目覚めたてな顔も、なんかすべてが絵になる・・・独特の雰囲気を持っているからだな。

全体的に、ナチュラルで過度に何かの感情を表している様子は感じられず、気軽にめくれるし、こういう作らない(作ってると思わせない)ものが、写真集素人の僕には素敵だな~と思った。ホテル内の写真だけ足を出してるせいか、ちょっとだけ毛色が違うものがあるんだけど、それを見る限りまだ『リリイシュシュ』のころの面影は残ってるなと、なぜか嬉しくなる。あぁ~今のうちに良い監督・良い作品にめぐり合えて、その少女な部分(小さくなっていく少女の部分)を早くフィルムに焼き付けてほしいと思う・・・岩井監督そろそろ本気だしても良いんじゃないだろか。原節子は、小津監督の『晩春』の歌舞伎のシーンでこそ彼女の魅力を最大限に引き出されているわけだけど、蒼井優もフラダンスやバレエだけではなく、永遠の名シーンを残せるはず。

ふぅ~、頭がボーッとしてる中熱くなってしまったが、まあ仮に読んでいる人がいたとして、キモイとか変態に思われようがどうでも良いと思う(実際そうだし)・・・でも、この写真集は裏切らない。やっぱ8mmがほしいと思い、またハバロフスクからロシア横断してみたいと、早速優さんに影響されている。

by nyankoronica | 2007-10-15 00:14
2007年 09月 17日
谷川 流 『 涼宮ハルヒの憂鬱 』
■「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた涼宮ハルヒ。そんなSF小説じゃあるまいし…と誰でも思うよな。俺も思ったよ。だけどハルヒは心の底から真剣だったんだ。それに気づいたときには俺の日常は、もうすでに超常になっていた―。第8回スニーカー大賞大賞受賞作。

●PerfumeはWINKと同じニオイがするんだけど、世の中的にはどうなんだろ。テクノ好きな何事を斜めに見、シュールであるかどうかを基準にしている人たちの感性に触れているものがあるんだろうかな・・・そういうのすごく苦手なんだけどPerfumeは好きにはなれそう。

WINKはそれまでのアイドルの概念を崩した伝説的なユニット(?)だと思うけど、それまでのアイドルは歌も演技もお話も二の次であって、ちょっとヌケテル可愛さだったり処女性とまでは言わずともある種の無知さが存在していて、多分男からするといろんな面で手に負える部分を感じれるわけだから(まあ、何か教えたりして男としての優位性を保てたり、あるいはダサい自分でも優しく接してくれるんじゃないかと思ってしまったり)、アイドルであっても近い存在を感じれたんだろうなと思う。僕の時代だったらノリピーというよりは佐野量子だな・・・今で言う萌えの塊のような存在だったよな。でもそんな彼女だって日本一のジョッキーをゲットしてしまう頭と腕は持ってたわけだ。アイドルに虚しい期待は持たない方が良いと思ったね。

それがWINKによって完全に崩れた。笑わないし媚はうらないし、愛想悪いしハキハキしてないし、キュートじゃないし快活じゃないし、演技しないしバラエティに混ざってコントしたりしないし・・・けど、無表情ながらの振り付けで歌い、それが結構上手く、また曲もアイドルらしからぬ完成度・洋楽志向だったりもする。もちろん長いアイドル史の中にはWINKみたいなファンと距離を保っていた存在もいたのかも知れないけど、僕がおニャン子以降知ってる限りでは、WINKは異質だったんじゃないかと思うな。その後ブレイクしたアイドルはモーニング娘。まで居なかったわけで、マニアの間では”失われた5年”とも言われているほどだけど(いや、言われてない)、モー娘。はつんく♂が80年代アイドルマニアだけあって、それをもう一度再構築したような感じは、初期にはあった気がする。今、貞操観念が崩壊してるモー娘。からファンが沈没船のねずみのように離れて行ってるのは、当たり前のことであるし、世の中の男性ファンは80年代的な夢を見てたわけだから、やはりアイドルに虚しい期待は持たない方が良いと再び考えさせられるわけだ。

ちなみに、WINKとモー娘。の間にもぽつぽつとアイドルのつぼみはあった。秋元康プロデュースなおニャン子の90年代ヴァージョンでCOCOやリボン、女優から宮沢りえ・内田有紀・観月ありさ、純アイドルから田村絵里子(カレンダーがすごかった)、ロリータ界から小川範子などなど。そんな中でも宮沢りえと内田有紀は大ブレークの兆しはあった。が、どちらも唄が下手でダメだった。宮沢りえに関してはTKが曲作った「ドリームラッシュ」ってのがあるんだけど、評判わるかったなぁ~・・・しかしTKの仕事の中では一番じゃないかと密かに僕は思ってたりする。あっ、あとあとバブル時代には、それまでのアイドルには感じることの出来ていた処女性を崩壊させ、見せるだけ見せるセクシー・アイドルがブームになったな。もちろんこれは後のグラビア・アイドルの走りなわけだけど、まあでもマニア受けは悪かったのか、すぐにブームは終わったよな。

そんなこんなで、モー娘。亡き今、アイドル戦線は戦国時代の様相を見せ、本命なき戦いを強いられている。逆に考えれば、ネットが普及して以降、ニーズが多様化したってこともあるし、またモー娘。の反動でか、単なるアイドルではなく、何かできるカッコいいアイドルに需要があるんじゃないかと思える部分があるよな。もうね、テレビのバラエティ番組に出て、お笑い芸人にいじられて、お笑い芸人を「え~一緒にデートしたくありません」なんて小バカにして、またオタさんたちをキモイの一言で一蹴するような、自分本位で時代のニーズを読めないアホ・アイドルは、せいぜい2年くらいの寿命であり、後にオッパイ出して過去の人になっていくわけだから・・・怒ってるわけではないんだけど、こういう理由から二次元やら自分の理想とするニッチなアイドルに走るマニアの気持はすごくわかる。

ほんとに今アイドルの源流がどこにあるのかがまったくつかめないだけど、ロック界だと木村カエラだよな・・・モデル出身とあって女の子にも人気があり(むしろそっちか)、彼女に楽曲を提供する人々や彼女が紹介する音楽の鋭さから、ロックファンの男からも支持が高い・・・気がする。まあな、アメリカでもアヴリル・ラヴィン等のロックアイドルがいる訳だから、その流れが日本で通用しないわけもないよな。次に言わずと知れたしょこたん、本人は80年代アイドルの流れを組んでいると思ってるようだけど、それもそうだけどより進化した感じはあるよな。ブログの更新による距離の近さと、アニメ文化・アイドル文化等に深い知識があり、また本人も絵が上手い・・・何より、芸能人・有名人からの支持も非常に高い。だから、しょこたんみたいなのが出てくると、他の単に可愛いだけで売っているアイドルは商売上がったりだよな、それ以外に売りがないだから。そんでもって、これはアイドルかどうかはわからないけど、チャントモンチーも90年代バンドブームの流れを組んでそうで、僕としては結構面白い存在のような気がする・・・楽曲も良いし、プロデューサーも良い。その上、男女問わず楽器をできる女の子に憧れる人は多いだろうと思うしな・・・普通そうなところも良いんじゃないかと。最後に新世紀テクノ・アイドルPerfume、楽曲先行のところはあるが、ヘタに安売りしてないようなので、このまま行けばテクノファンのみならず、ネット志向の若者にも徐々に指示が広がるんじゃないかと思ったりもしてる。女優界からは夏帆あたり良いんじゃないかと思うけど、これもまたヘタに安売りはしてないようなので、マニア向けなんだろうかな。

結局のところは、もうアイドルって言っても可愛いだけじゃ売れないだろう。仮に何かの話題で売れたとしても、それはバラエティ番組に出て単なる花扱いにされすぐに枯れているってのが関の山なんだろうな。それだったら、ごく一部のマニア向けに発信した方が意外と長生きする可能性があるんじゃないかと・・・。しっかし、今のU-15アイドルでの脱ぎっぷりはすごい、ケツ丸出しだ。結論としては、今も萌えだのツンデレだのは、80年代的な素地があってのコスチュームや振る舞いであり、またその対象は僕にとっては佐野量子だってことを言いたいがために、アイドルについて長々と書いてしまったわけだな。少なくとも秋元康プロデュースなakibaのアイドルでもなく、目がね猿の時任あみでもないってこと(作りすぎてて、こいつ大嫌い)・・・まあ、こんな長い雑文誰も読んでないでしょ。

そんなこんなでハルヒだけど、途中バトルが始まる前まではすごく面白かった。それはハルヒの疾走感に他ならないわけで、その勢いが文章からも感じられたし、仲間が集まっていく過程・それに伴い徐々に正体が分かっていく様はすごく緊張感がありワクワクした。しかしながら、ハルヒが徐々に消沈し(まあ、これによりバトルが起こるわけだけど)バトルが始まると、どうしても文章の表現よりは、漫画やアニメのほうが迫力があると思ってしまう部分があり、正直情報量の違いを感じてしまう部分はあるよね。あと、どうしても気に入らないことは、この『憂鬱』だけでは、完結してないことばかりでその点に関してすごくイライラする。300ページもあって、ハルヒの3年前の出来事にも触れてないってどういうことだよって思うな。しかも、他の仲間の背景も不明のままだし・・・もうちょっと進もうよと思う。ただ、文章は上手いほうだと思うので、非常に読みやすいし、やっぱり前半の勢いには魅かれるものがあったな。★★★☆、なんか面倒で次に進みたい気にはなれない。もう少し進んでいれば気分も変わったかもしれないけど、ちょっともったいぶりすぎのような気がするなぁ~、オチも「ハルヒだって女の子だもん」だし。

by nyankoronica | 2007-09-17 22:39
2007年 08月 31日
松尾スズキ 『 クワイエットルームにようこそ 』
■恋人との大喧嘩の果て、薬の過剰摂取で精神病院の閉鎖病棟に担ぎ込まれた明日香。そこで拒食・過食・虚言・自傷など、事情を抱えた患者やナースと出会う。普通と特別、正常と異常…境界線をさ迷う明日香がたどり着いた場所はどこか?悲しくて笑うしかない、絶望から再生への14日間を描いた、第134回芥川賞候補作。

●今日、仕事終わりにテレビつけたら、ギャンブル依存症(病的ギャンブル)のことやってた。最近見てるブログがまさにそれで(その人は株なんだけど)、まず自分では病気だと思ってないってことが前提にあって、その要因として「今すぐにでもやめられる」とか「借金(株だと信用)にまでは手をつけない」とかそういう自信を本人が持っていて、でも結果的に負けが続き今度こそ勝てるってな一発逆転の思考で借金や信用に手を出さざるおえなくなり、気付いた時にはそれらが膨大に膨らんでいる。まあ、こういう一度の失敗の人なら世の中沢山いると思うけど、依存症の人は個人再生なり自己破産なり、あるいは離婚とかそういう状況になりつつも、また「自分はリスク管理ができる」とか一発逆転の思考で、再びギャンブルに手を出してしまう。自分では歯止めをかけようとしても絶対に掛からない、言うならば脳みその回路がギャンブル=快楽に繋がってるかのごとくな行動。そのブログでは、コメントするみんなが「お前、また失敗するぞ、すべて失うぞ」と言ってるのにも関わらず、最近再び株を始めて一度くらいの勝ちで美酒を味わってたりもする。すごく面白いので、コメントなんか書かずに端から毎日見てるけど、この状況の人にはこっち側の人間が何を言っても、聴く耳もたないんだなと思った。

例えば、どっかの相撲取りの問題。あればほんとに病気なのかどうかがすごく気になる。もしもほんとに何らかの精神疾患があるのだとすれば、テレビ局のやってることは、さくら不倫パパが言ってたように(こいつは自業自得)、「自殺までありえるぞ」ってことになると思う。当たり前だけど、精神疾患は自殺に直結・または接近するってことが前提にあると思うし、つまり、ほんとに病気であるならば、テレビ局のやってることは自殺を助長させてるってことになるよな。その場合は、倫理的に断罪されるべきだし、またそれを許すのであれば、芸能人でうつ病になった人をしつこく追いかけ「自殺しませんよね」なんて言うアホな女性レポーターまでも出てきてしまうかもしれない。ただ、「先日までバリバリ戦ってた人が、病気になるわけねぇ~だろ」ってのが世の中の合致点としてあるわけだから、これほど面白おかしくなってるんだろうなと思う。有名な小田晋氏は「ありえない」的なこと言ってたけどね。

そんでもって、僕あたりは引きこもり経験者なわけだけど、当時は引きこもりってな言い方もなくネットもなかったので、ほんとに「こんなダメな情けない人間は世の中にオレしかいないだろ」って8畳の部屋でいつも思ってたりした。引きこもりって言葉が出てきた当時は、前提に精神疾患を伴わないってことがあったけど、それだからこそ逃げや甘えと直結した解釈がなされるわけだったりする。でも、外に出ることの恐怖・また親でさえも安心感を感じないって思考、もっと言えば何ヶ月何年も同じ場所・同じ風景で、何もやることなく(いや、何もやる気が起きず)生活できるってことが、脳みそ的に正常だって解釈はいまだにわからん・・・よっぽど我慢強い精神力を持ってるってことだよな、仙人ってことか。

この『クワイエットルームへようこそ』に出ている人々のほとんどは、精神疾患を持っていて、簡単に言えば脳みそ的に異常をきたしてるってことなんだけど、僕は常々思うが、正常と異常の分岐点がまったくわからないだよな。もちろんこんな文章書いている僕自身のことを、ダメ人間だし異常だと思ってるけど、多分脳みそ的には正常って判断になってしまうだろうと思う。例えばギャンブル依存症にして拒食や過食(嘔吐)にしても、その行為自体に「しなければ耐えられない」って言う思考と直結してるわけだったりすると思うし、それ以前に脳みその分泌液等の不全があったり、幻聴・幻覚等の現象があって、病気とするのかもしれないと思う・・・もちろんそれが自己破壊的な衝動に繋がるってな。結局のところは、佐倉も鬱だったりODで病院に入ったわけなんだけど、『カッコーの巣の上で』の主人公のように一線を画すことができる精神があったわけで、もしかしたらそれが入院している人たちとの違いなのかもしれないななんて思った・・・まあ、入院してるみんなも思ってるのかもしれないけど(そうすると、正常=異常になるか)。

ただこの本的に考えて、その違いのアプローチは少々なっとく行かないものでもあった。例えば、拒食の人も入院しているわけだけど、彼女たちだってその違いを想い日々暮らしているのかもしれないし、けど食事が怖いものとしての回路が出来ているごとくな、食べれない現実がある。別に松尾スズキに期待はしてないけど、この人たちの未来はどうなのかが、今のところ映画でもないんだよな。食事することを信用させ、その回路を破壊するってなものは薬以外のアプローチではどうすれば良いのか難しいよな・・・そういう人に出会うかもしれないしなぁ。ただ、小説はすごく流れが良くて、ユーモアも非常に面白く、けどどぎついほどグロくもなくて、すごく読みやすかった。★★★★☆、映画も楽しみだ。それより蒼井優さんが、痩せすぎててマジに拒食になってるんじゃないかと日々心配してる・・・ん~僕にできることは何かあるだろうか、万が一の時どういうアプローチすれば少しでもプラスになれるんだろうか。

by nyankoronica | 2007-08-31 22:28
2007年 07月 20日
金原ひとみ 『 アッシュベイビー 』
■キャバクラ嬢のアヤは大学時代の同級生であるホクトと些細なきっかけから同居を始めた。彼は小児性愛者で、大人の女には見向きもしないのだった。ある日、ホクトの知人である村野という冷淡な男に出会い、アヤは強い執着を抱く。しかし、ホクトが家に赤ん坊を連れ込んだことから、すべてが歪み始めた…。欲望の極限まで疾走する愛を描き、いびつな真珠のように美しく衝撃的な恋愛小説。

●好きな映画で『天使が見た夢』ってのはあるけど、この映画は”男で崩壊していく女の様”だったら最高な作品だと思ってる。やりがいのない仕事をし、まわりに毒づいている冷めた二十歳くらいの女が、ある時クラブを経営している男と知り合いになり、セックスしその男にどんどんはまっていく。それは、狂うようにセックスを求め、親友の言葉すらも拒絶し、また彼と関係している女性を憎み、終いには彼の自分への想いをも疑い、その孤独感・不安感に耐えかねず自殺をしてしまう。

この本の主人公レナも、今までは自己を誰にもさらすことなく、男へも女へもクールに距離間を保ち接してきたんだろうけど、それが自分以上にクールで感情をあらわにせず、世の中を冷めた目で見ている村野って男に出会ってから、今までの自分を正反対にしたように、自分の想いや考えを知ってもらいたいと情けないほど(と、認識しながら)哀願する・・・「好きです」と言いまくり「殺してほしい」ってのが最終的な望みになっていたり。そういう「この人、女の部分忘れてないじゃん」って部分と日常の破壊的な部分との変化が面白いし、また体の自分と精神の自分のが分離し、求めるものが一致しない様を自己葛藤のシーンなんてすごく面白かった・・・結局はナイフをさして肉体にもう一つの性器を作ったり(?)するしさ。スピード感もあって、冒頭のガキンチョの話に同意してしまう自分は、ヤバイなと思った。

自分や世の中すべての事に苛立ちを感じてしまい、それが自分の内では納めることが出来ず外に放出してしまうレナは、もしかしたら村野に出会って、その制御する方法を知ったんだろうと思うし、それが過度の要求(「殺して」と思うこと)になってしまうのは、これは確実に男にはない感覚だなと思った。不安定な人間が、恋愛することによって自分の立ち位置をつかむことは、一番の近道だと思うけど、ただこの本のようにその状況でも、その人と距離間があり気持が通わないことによる虚しさや孤独感は、ずっと暖かさをしらない人の虚しさや孤独感よりも大きくなるだよな。『天使が見た夢』は耐えかねて自殺をし、この本では・・・途中で終わるんだけど、今後どうなんだろうね、痛みつけるだけで救いがあるように思えないんだけど。それでも村野と居る時以外は世の中に毒を吐き続ける気迫は続くんだろうかな。映画でも本でもそうだけど、他者は「それ、やめとけ」って言うよな。

すごく面白かった。下品&グロな表現に耐えられるかどうかは、その人の許容範囲によるからなぁ~・・・でも、金原ひとみにこんな許容範囲があると思うと、すごく興味が沸いてきて、もちろん僕なんかじゃビビってしまってシッコ漏らしそうになるけど、お話してみたいなぁと思ったりもした。なんつーか、エロでも音楽でも映画でもそうだけど、実際そういう行動はせずともその認識してる許容範囲は、絶対にその人の魅力になるよな。例えば潮音さんの名言に「昼は教会で聖歌で、夜は家でキッス」ってなのがあるけど、穏やかなエレクトロニカとか聴いてる女性に「実は私、スリップノットやライトニング・ボルトも聴くんです」なんて言われたら、確実に惚れる要素の一つだよな。なんかそういう許容範囲は広い方が人間的に面白いんじゃないかと思う、そしてこの金原さんは非常に広そうでその上奥深そう。「オレ、いろいろあってダメ人間なんです」って真剣に言っても「あっ、そ」って冷たい目されそう、またそれがさ・・・★★★★。しょこたん、正直また見直した。この本読んでるし、あからさまの拒否反応ではない。ん~、楳図先生の漫画でグロの許容範囲は広いのかもしれん。

by nyankoronica | 2007-07-20 00:50
2007年 06月 20日
中島らも 『 今夜、すべてのバーで 』
■薄紫の香腺液の結晶を、澄んだ水に落とす。甘酸っぱく、すがすがしい香りがひろがり、それを一口ふくむと、口の中で冷たい玉がはじけるような……。アルコールにとりつかれた男・小島容(いるる)が往き来する、幻覚の世界と妙に覚めた日常そして周囲の個性的な人々を描いた傑作長篇小説。1992年(13回) 吉川英治文学新人賞。

●大学生のころ、『しりとりえっせい』や『中島らもの明るい悩み相談室』とか読んでて、いつかは小説も読んでみたいと思ってたら、死んだのを知った。その時この本買ったんだけど、でも活字嫌いになっててずっと読んでなかった。そういえば、映画で観た『お父さんのバックドロップ』も原作なんだな。

すごく面白かった。なんつーか、映画で言うとカウリスマキっぽい。すごく客観的で、淡々とシーンが変わっていくし、ユーモアも熱いことないんだけど、でもなんか優しくてあからさまな希望ではない小さな光があったりもして・・・なんか良い。いや、単に(自意識過剰でも)自分自身が弱者だと感じてるからかもしれないけど、そういう人間には夢の実現だったり成功の秘訣、はたまた人生を自分で変えなければ・・・って言い分は、すごく徒労感を感じてしまうわけで、そういうあからさまな事柄があまり存在しないこの本に(しかし、事実に基づいたデータはある)、入り込みやすさと面白さを感じたんだろうなと思う。小島と赤河のケンカから最後に掛けて、やたらと泣きそうになった。★★★★☆。プレスリーの話面白かった。もっと違う作品も読みたくなった。

アルコール依存症の話なんだけど、僕は酒を飲まない。飲めないだか飲まないだかわからないけど、”アルコール=美味しい”とかそういう脳みその回路自体が存在してない気はする。自ら飲みたいって思ったことはないし、そういう場に行っても「早く帰りたいなぁ」になってしまうし。親が飲めないってのもあるのかもしれないけど、でも昔は結構疎外感は感じてたりもした。大学生なんてのは何かにつけて飲み会をセッテッングするわけだから、強要はされた記憶はないけど、でもみんなが出来上がってるなか一人冷静ってのは虚しいものだし、「ノリ悪いなぁ~」に思われたり言われたりで(もちろんシラフで会う時の印象も悪くなったり)、もちろん自分の性格・性質の問題もあるけれど、気付いたら一人なんてことは何度もあった。とにかく酒を飲んで美味しいとか気持良いとか思えないと、多分人生の半分も楽しめないのかもしれないと思うところはある。今でもたまに飲める人に聞かれて「飲めない」言うと、「こいつつまらない人間だな」的な哀れみな目で見られることもある。ただ、今はまったくそういう機会もないし、そういう場に行く必要がない状況なので、正直楽で良いし、飲めないことが健康の面とかから考えても、メリットに思えてしまうから、良かったんじゃないかと考えてたりする。僕が集団でガヤガヤってのが好きではないってこともあるんだろうけど、逆に考えるとそういう場で得られる社会性やらコミュニケーションはいつになっても上達しないんだろうなと思う・・・まあ、今更良いんだけど。

僕はたまたま酒が飲めなかったからこの心配はないにしても、状況から考えると十分にそれになった可能はあるんじゃないかと思ったりもする。多分、依存体質だと思うんだな。自己評価も低いし基本孤独好きだし時間もあるし、よく「オレの人生なんて」って思いながら金なくてもCD買ったりしてるし・・・生きていくうえで、何かを埋め合わせる場合(逃避も含め)に酒を道具として持ち込んでたとしたら、依存になってた可能性は大きくなるんじゃないかと思う。もちろん、世の中の誰しもが何かで安心感を得、依存とは言わぬまで何かで自分の立ち位置を確立し生きてるんだろうなとは思うけど、なんつーかな基本逃げの人生だから可能性は高いかなと。まあCDや映画やブログ程度で今のところ健康的かつ安く済んでいるので、安心はしてるんだけど。

酒が好きな人でもアルコール依存症にならない人がいるわけだけど、この本では酒が何かにつけてツールになってしまうかどうかってことが要因の一つじゃないかみたいなことが序盤に書いてあった。例えば寝酒だとすると、最初は眠れないかから・・・だったのが、酒を飲まなければ・・・ってな慢性化になってしまい、耐性ができるわけだから自然と量も多くなり・・・。ただ、大抵の人間には仕事など制限できる時間帯があるわけだから、そこでなんとかバランスがとれて依存にはならないってことなんだけど。脳みそに回路が出来ちゃうと、なかなか消すのは難しいよな。例えばオナニーがやめられないのは、そんなに身体に大きな害がないって言う事実があって、気持良いから・・・ってな回路が出来ているからだろうけど、もしも気持良い後に出てくるものが血だったら、さすがにオナニー=気持良い・安全の回路を出来なかっただろうなと思う。依存ってのは、多分そういう回路が出来て消せない状況があるわけだから・・・まあ人間ニュートラルで生きるのは難しいだろうから、せめて金と身体に悪くない依存対象を探すって事だろうなと思う。あっそういえば、90歳のじいさんの話も面白かったな~。知識も教養もないのに調子こいて自慢気に書いてる自分には、とても身にしみた・・・脳ある鷹は爪を隠すなんだな。

読みながら聴いてたBATTLESと ZAZEN BOYSがすごく良かった。

by nyankoronica | 2007-06-20 01:02
2007年 06月 11日
氷室冴子 『 海がきこえる 』
■高知の高校を卒業した杜崎拓は、東京の大学に進学し、一人暮らしを始めた。その矢先、同郷の友人から武藤里伽子が東京の大学に通っていると聞く。里伽子は高知の大学に行っていたのではなかったのか?拓の思いは、自然と2年前のあの夏の日へと戻っていった。高校2年の夏の日、訳あって東京から転校してきた里伽子。里伽子は、親友が片思いする相手だけだったはずなのに…。その年のハワイへの修学旅行までは…。

●久々に本を読んでみる。とことん自分はつまらない人間だと思うけど、まあ他人と話す時に話題に事欠かない男ってのは無理だし自分自身そういうのは望んでないにしても、でも自分で満足する程度の良い時間の使い方ってのは、今後生きていく上において重要だと思うので、簡単に言えば暇がつぶせる趣味を増やすって事で、週に一冊くらいは本読もうかなと高度な目標を立ててみたりする。やっぱり、この先のことを考えるとドラステックに何かが変わるわけではないだろし、またそういうこと自体自分は拒否してる部分はあると思うし、情けないけど小さな変化くらいじゃないと耐えられる自信はないので、映画や音楽またはたまに行くライブとかを積み重ねていった方が良いかなとは思う。

この本は青春小説なわけなんだけど、僕はその辺が欠落してるような気がする。映画でもそうだけど、高校時代が背景のは好きなんだけど、大学時代とかそれ以降の若者のありようが描かれている映画にはのめり込めないってのがある。それは、自分のその時代に満足行かなかった・良い思い出がなかったってな単純な理由なんだけど、例えば今湯川潮音だったり蒼井優だったりを「好きだ」なんて言ってるのは、なんとなくその時に出来なかったことを今してるってな、治療(?)的な感じがあるような気はする。当たり前だけど、その時期に経験しなければならない事柄をその時代に経験してないと、その後の人生にいおいてちょっとしたズレが生じやすいじゃないかと思う。それは恋愛もそうだし、スポーツなど何かにのめりこむこともそうだし、趣味を見つけることもそうだし・・・その時に見つけられないといい歳になると妙な寂しさに襲われることがよくあるよな。

この本でもあるけど、他人に優しくできたり、素直に面と向かって「ありがとう」だったり「ごめん」って言えるのは、自分の世の中での立ち位置が分かったり他人に認められたってことがあって、初めてアイデンティティだったり自尊心ってものが築かれるわけだから、そういう通過儀礼を経験してこないと、どうしても相手を思いやれないし虚勢を張ってしまうんだろうなと思う。自分に関して考えると、どうしてもふてくされてしまう原因は仕事の事だったり、大学を辞めてしまったことだったり、みんなができることが出来なかったり・・・ありとあらゆることが雁字搦めになって、終いには「どうせ、他人はこいつしょうもない男だなって思うんでしょ、だったらこっちから興味持たないよ」ってな相手がどうもしてないのに勝手にシャットダウンをしてしまったりしている。これは完全に自尊心がもてないからだと思うんだよな・・・それを少しでもどうにかするために映画や音楽に向かっているつもりなんだけど。

この本では、高校生が卒業して、大学生になり再会してから、今までのわだかまりがとれケンカする以前のように仲良くなったりする。それは、違う世界を見てその中に自分を順応させらたからであると思う。ずっと前から思ってたし、いつかは変えなくちゃと思ってたけど、僕自身に欠落してるのは断然ここだと思うんだな。順応できない・自分が築けないってずっと逃げてきたもんな。今ではそれはどうでも良いことになりつつあるけど・・・その代わりに小さな刺激を積み重ねて自己満足するってな方向になってしまってる。里伽子は、浮いていたけど同窓会で今までの事が埋め合わせられただろうし、その機会があったこと・勇気出して参加したことが、妙に羨ましくもあったな。

高校時代に仲の良かった彼女が卒業後もよく連絡をくれていた・・・多分去年くらいもあったような気がする。いつも「今度会いましょう」なんてメールだの手紙だのくれるのに、なんだかんだ言い訳付けて「また、今度ね」的な返信をしてしまう。もちろん、ものすごく会ってみたいし友達として仲良くなりたいんだけど、どうしても自分の誇れることのない背景が邪魔をしてダメね。もちろん、かっこ悪いとこ見せたくないとか嫌われたくないってのはあるんし、その変なプライドがすべてを邪魔してるんだと分かってるんだけど・・・「会っても、オレって薄い人間だから」って考えて。一度そういう本心を書いた手紙を書いた気がするけど、なんか無駄だし迷惑かけてるよな。なんつーか、自信がないからせせこましくなってしまって、シンプルさがないみたいな感じ・・・この長い駄文と同じ。ただ、彼女と一緒に居た時のみ、赤面症や恥ずかしさが緩和されてて、なんか肩の荷が下りていた感じはあった、だから感謝してるんだけどなぁ~・・・ここ知ってるから来てたら怖いが、毎日やってる理由の一つには「無事に生きてますよ」ってな報告の意味もあったりはする。

この本のイマイチなところは、主人公が優秀ってことであるし、周りもマジメってな状況が、ロクでもない高校に通ってた僕としては入り込めなかったところもある。ただ、恋愛模様やそれ以前の恋愛に発展していく過程はとても清清しいものがあり、同級生だとどうしても女性の方がオトナ・・・いや、男が尻に惹かれてしまうってな状況になってしまうんだろうなと思う。自分自身もそうであったし、そのある種の不自由さが心地良いと思うときもあったりしたなぁ~・・・ドM発想だけどさ。好きな女の子にしても親友にしても、その相手を大切に想ってるってことを言葉・態度で示すことは、まず出来ない年齢だと思うし、微妙なズレで話さない関係になるってのはなんかよくあったよな。別に時間が経てば相手に対する怒りみたいなものは消えるんだけど、なんかムズ痒くて「ごめん」どころか、普通の話することするら照れてしまう。それズレを解消するのはこの本のようにお互い違う場所で違う経験を積んでからでないと正直な気持は言えないんだろうなと思う。

そういう微妙な空気感はすごく伝わってくるし、あのころの事を沢山思い出しながら楽しくもほろ苦い想いで読めた、★★★★。里伽子みたいな、ツンツンしていて同性とツルマナイ女の子は、男からすれば結構魅力的に映ると思うし、まあ僕のドM発想からくるんだろうけど、ワガママに扱われることに対しては、そんなに苦痛は感じないだろうなと思う。

by nyankoronica | 2007-06-11 05:24